東京電力の社長だった清水正孝氏は311事故直後、出張先から東京本社に戻るため自衛隊機に搭乗しようとして拒否された。これに対し、山下俊一氏は、国賓扱い並みに、自衛隊機に飛び乗り(もっとも、弟子の高村昇氏は搭乗適わず、テクテク電車を乗り継いでの福島入りした)、3月18日、長崎から福島入りした。その山下俊一氏の福島デビューは翌19日の記者会見だ(以下、高村氏と並ぶ山下氏)。
311直後から、マスコミに登場した東大、京大の原子力ムラとおぼしき学者たちの、腰の引けた意味不明のメッセージに不信を抱き、辟易していた中、この単純明快なメッセージに鮮烈な印象を受けたのは私だけではなかった気がする。
しかし、最大の問題は次にあった---どうしたら「正しく恐れる」ことが認識できるのか。
その基本原理は先入観、固定観念を排除すること。言い換えれば「偶像崇拝の禁止」。長崎の被ばく二世という経歴から、即、信頼できるとは限らない。検証・再吟味が不可欠だった。
私にとって、その検証・再吟味の最も有力な方法が、カントが言った次の「視差(ズレ)」の中で考えること、つまり2つの異なった立場からの考察を比較することだった。
《さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。》(カント「視霊者の夢」)
それは、放射能という《見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒》(アーネスト・スターングラス博士)と言われる最も困難で、厄介な物質の危険性を理解する上で、欺瞞を避け、正しく認識するために決定的に重要な方法に思えた。
例えば、それは次の3つの方法として具体化された。
①.時間的な視差(3.11以前と以後との対比など)。
②.場所的な視差(チェルノブイリと福島との対比など)
③.人的な視差(「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比など)
放射能は《見えない、臭わない、味もしない》厄介な毒だが、他方で、人間界にはない、すこぶる単純明快な性質を持っている。それが、放射能には御用学者やマスコミのマインドコントロールがいっさい通用しないこと、放射能は収束宣言を出す政府要人にも、安全神話を振りまく御用学者にも、貧富の差にもかかわらず差別せずに情け容赦なく人々にひとしく被ばくを浴びせることだった。
この無差別被ばくの性質の結果、政府要人や自治体の首長、御用学者が一般市民向けに口では「屋内退避で十分」「自主避難の必要はない」と言っている時でも、現実に、彼ら自身と家族の避難をどのように取り扱っているか、それさえ見れば避難の必要性についての真実が判明する(③.人的な視差)。311直後、一般市民は口にこそ出さねど、政府要人や自治体の首長、御用学者とその家族の動静を注視していた。
この「視差(ズレ)」の中で考える方法が最も威力を発揮したのが、311後の福島での山下俊一氏の発言の評価である。なぜなら、彼は311以前から放射能の危険について、何度も発言をしてきたからで、そこから、311以前の山下発言と311後の山下発言を比較し、その視差(ズレ)の吟味を通じ、山下発言について欺瞞を避け正しく認識することが可能になるからだ。
そこで、この点について、子ども脱被ばく裁判で原告は、次の通り、主張した(アンダーラインは原告代理人)。
1、100ミリシーベルト以下の被ばくの危険性について
これについて、山下氏は、311前には次の通り、発言していた(原告準備書面(5)42~43頁)。
講演・論文 |
内容 |
①.「被爆体験を踏まえた我が国の役割」3頁(2000年)(甲C33) |
4.今後の展望 |
②.「放射線の光と影」543頁左段(2009年)(甲C34) |
主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません‥‥ |
③.「放射能から子どもの未来を守る」9~10頁 |
【児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長(以下、児玉教授という)による原発事故以前の山下アドバイザー発言の紹介】 山下氏は、福島原発事故以前は、学会で、放射能を使うPETやCT検査の医療被曝については、2ミリシーベルト程度の自然放射線と同じレベルについても、「医療被曝の増加が懸念される」と述べ(※)、学問的には危険性を認め対応を勧めている。 (※)「正しく怖がる放射能の話」(長崎文献社)、「長崎醫學會雑誌」(長崎大学) 81特集号 |
ところが、311後に山下氏は、次のような発言をするに至った。
《何度もお話しますように100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。》(5月3日二本松市講演。特集「告発された医師」〔甲C9〕23頁右段下から18行目以下)
311前と後のこれらの発言を比較した時、その正反対とも言うべき内容に対し、一体どうやったら、両者の整合性がつけられるのか理解できないと主張した。正常な頭で考えたら、山下俊一氏は2人いる(注:もう1人は田中俊一氏という意味ではない)のではないかと疑わざるを得ない。その積りで、原告代理人はこう主張した。
《(両者の発言を)比較した時、その正反対とも言うべき矛盾した内容に、果して同一人物の発言なのかといぶかざるを得ない程である。》(原告準備書面(60)12頁)
しかし、判決はこれに対して、一言も触れなかった。というより触れらなかった。もし触れようものなら、山下氏を救うロジックを見出すことは不可能だと分かっていたから。そこで、「三十六計逃げるに如かず」の格言に従い、だんまりを決め込んだ。
これは次の安定ヨウ素剤の服用についても同じだった。
2、安定ヨウ素剤の服用
これについて、山下氏は、311前には次の通り発言し、すばやく安定ヨウ素剤を飲ませたポーランド政府の対応を推奨していた。
日時・場所 |
発言 |
①.甲C34「放射線の光と影」537頁左段1行目 |
ポーランドにも、同じように放射性降下物が降り注ぎましたが、環境モニタリングの成果を生かし、安定ヨウ素剤、すなわち、あらかじめ甲状腺を放射性ヨウ素からブロックするヨウ素をすばやく飲ませたために、その後、小児甲状腺がんの発症はゼロです。
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②、甲C33「被爆体験を踏まえた我が国の役割」ラスト |
最後に、チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、「転ばぬ先の杖」としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある。
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ところが、311後に山下氏は、次のような発言をするに至った。
日時・場所 |
発言 |
①.2011年3月20日記者会見(甲C第9号証) |
【安定ヨウ素剤の配布の有無について】 この数値(毎時20マイクロシーベルト)で安定ヨウ素剤を今すぐ服用する必要はありません。 |
311前と後のこれらの発言を比較した時、ここでも、その正反対とも言うべき内容に対し、一体どうやったら、両者の整合性がつけられるのか理解できないと主張した。正常な頭で考えたら、やはり、山下俊一氏は311前とは別人の山下氏が2人いるとしか思えない。
その上、311前と後の山下発言の文脈・状況の違いについて次の点が重要だった。311前の発言は、山下氏にとって所詮、他国の話、彼自身の利害に殆ど関係のない話であり、中立公正な話をする上で別段何の障害もなかった。彼は安んじて、真実を、100ミリシーベルト以下の真実やポーランドの真実を語ることができたのである。しかし、311後は状況が激変した。彼にとってのボスであり、最大の関心事である日本政府の存亡がかかっている。バイアスがかかるのは当然である。このように、山下氏の置かれた状況を理解して、311前と後の彼の発言を比較し、読み解けば、おのずと評価が下されるはずだった。
しかし、判決はまたしても一言も触れなかった。ここでも、触れらなかった。もし触れようものなら、山下氏を救うロジックを見出すことは不可能だと分かっていたから。ここでも、「三十六計逃げるに如かず」の格言通り、だんまりを決め込んだ。
以上の通り、311直後に山下語録として日経新聞が紹介した《放射線「正しくおそれよ」》を放射線に正しく適用した《311前と後の山下発言の比較・検討》という具体的な方法を、山下発言に適用すれば、山下発言の正しい評価が可能になった。しかし、それでは山下氏を救うことはできない。そう悟った裁判所は、この方法を適用することを無視し、黙殺した。
つまり、裁判所は、山下氏を救うために、《放射線「正しくおそれよ」》という山下氏の教えに背いたのである。
もちろん、裁判所を背信的偽善者に陥れた元凶は山下氏である。《放射線「正しくおそれよ」》を受けのいいキャッチコピーとしてしか考えず、福島の人たちにとって無名の山下氏の311前の発言なぞ福島の人たちは誰も知らないことをこれ幸いとばかりに、311後に、放射能の具体的な話について、手のひらを返したように311前とは正反対の安全論をぶちあげ、振りまいたのである。これが犯罪と言わずに何と言おうか。この欺瞞的な山下発言を救済するために、裁判所としては《311前と後の山下発言の比較・検討》を無視、黙殺するほかなかった。しかし、その結果、最大の被害者は被ばくした福島の子どもたちである。裁判所もまた、その責任が永久戦犯として歴史に刻まれる。
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