2014年5月20日火曜日

2014年5月20日第6回福島原発事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議における小笹晃太郎証言(抜粋)

以下は、最新のLSSデータを統計的に解析した報告書(LSS14報)の解釈をめぐって発生した論争をめぐって、筆頭著者である小笹晃太郎氏が「福島原発事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」に呼ばれ、証言したものです。
この時、小笹氏が提出し説明した資料は-->こちら

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·  長瀧座長 

‥‥実は小笹先生、お聞きになったかと思いますが、この前のときの演者が先生のスライドをお使いになって、いろいろと主張なさったので、それについて議論がございました。ちょっと僕も議事録を見て確かめようと思ったのですが、小笹先生のスライドを使って、あれはゼロ以外の、ゼロ以外は、書いてあります。どこにあります今。

たします。

·  小笹氏 小笹ですが、先ほどちょっと議事録を拝見させていただいておりますので。
·  長瀧座長 そこについて、皆さんご意見いただきましたけど、本当の小笹先生からそのスライドでそういう結論が出るのかどうかということも含めてお話しいただくことと、それから、もう一つは、遺伝について、放射線影響研究所で相当に大きな研究をしておりますし、遺伝に関してポジティブだという結果が放影研では出ていないと、人間ではないというようなことについてお話、よろしくお願いいたします。

·  小笹氏 放射線影響研究所の小笹でございます。
 私の資料を見ていただきまして、今長瀧先生からおっしゃられましたように、2点ご説明させていただきます。
 まず、第1点でございます。資料の1ページ目になります。原爆被爆者の死亡率に関する研究という論文の説明です。
 かぎ括弧にありまして、放射線リスクの線量反応関係に関する要旨ということになりまして、ここで先ほどご質問にありました、低線量域におけるリスクがどうなっているのかという解釈ですね、それに対する若干の誤解が時々生じておりますので、それについて説明させていただきます。
 ここの要旨は、これは放影研のホームページにも載せておりますものですが、1950年に追跡を開始した寿命調査(LSS)集団を2003年まで追跡してということで概要を書いておりますが、その2行目ですね、後半になりますが、総固形がん死亡の過剰相対リスクは被ばく放射線量に対して直線の線量反応関係を示し、その最も適合するモデル直線の閾値はゼロであるが、リスクが有意となる線量域は0.20Gy以上であったと。ここの解釈が非常に時々誤解をされる方がおられるということでございます。
 これは最終的な解釈でございまして、この説明としまして、下に二つのグラフを掲載しております。いずれも原論文に掲載されております図でございまして、左側が原論文のFIG.4、右側が原論文のFIG.5でございます。
 左側には、点とその上下の棒、点はその線量域におけるリスクの推定値、この左側の縦軸はですね、ERR、過剰相対リスクでございまして、過剰相対リスクの場合には、ゼロとなるところが、リスクがないという点であります。0.4のところであれば、40%リスクが増える、1.0のところであれば、100%リスクが増えるという、そういう関係になっております。横軸が、これは重み付け結腸線量ということで、放射線量でございます。1.0というところが1.0Gy、2.0Gy、3.0Gyということで軸がとってあります。
 その点は、それぞれの線量カテゴリーにおけるリスクとその95%信頼区間ですが、全線量域においては、Lですね、直線モデル、それからLQ直線二次モデル、それから、2Gy未満の線量域においてLQモデルを適用しておりますが、今日は、そのL、直線モデルについてのみご説明いたします。
 全線量域においてこの直線のモデルを適用いたします。そうしますと、そのモデルは当然のことながら有意になってまいりまして、そのモデルの左端はですね、ゼロとゼロ、つまり原点に到達するということになります。
 これは、このモデルといいますのは、全線量域においてこのモデルが一旦有意になりますと、それは全線量域においてそのモデルは適用されてしまいますので、そのLという直線の上下に点線ですね、ちょっと見にくいですが、点線が書かれておりまして、これがLの直線の95%信頼区域になるわけですが、これはずっと左へ追っていきますと、ゼロのところに収束をしてしまいます。一方で、点とその上下の95%信頼区間は、その低線量域では、非常にこの不確実性がまだ残るわけですね。高いわけです。多くはそのゼロを超えて、あるいは点推定値そのものがゼロより下にあるものもあります。そういう形でこの低線量域のリスク推定値には、大きな不確実性があるわけですけれども、このモデル自体はそういうものを反映しません。ゼロのところで収束するというモデルなわけです。そこが非常に誤解を招く点なんですね。
 ですから、このモデルということであれば、そのモデルの直線の閾値はゼロになりまして、その閾値の95%信頼区間の上限は、0.15Gyまであるわけですが、その数字はここには記載されておりませんけれども、論文中には記載されておりますが、そういう閾値に関する不確実性、95%信頼区間の不確実性はそのぐらいあります。
 今このモデルが有意になるということは、1Gy、2Gy、3Gyという高線量域での量反応関係が極めて確実であるということに基づくものでありまして、この低線量域での不確実性を含んでいるわけではないということにご留意をいただきたいというところでございます。
 では、低線量域の不確実性をどのように評価しているのかということが右のグラフです。
 これは全線量域を二つの領域に分けます。例えば、それがここに書いてありますのが、0.01、0.1、1という対数目盛りに下の線量がなっておりますが、これはちょっとColon Doseだけになっていますが、左と同じ重み付け結腸線量です。これが例えば、0.1というところの値になりますと、ゼロ~0.1Gyまでの線の傾き、つまり1Gy当たりのERRですね、過剰相対リスク。それから、0.1~あと最大線量までの1Gy当たりのERR、直線の傾き。それを二つが別々の値をとるという仮定を置いて、その二つの傾きがどのようになっていくかということを検討します。
 ここの図に書かれていますのは、下側の領域の1Gy当たりのERRを示しております。これが0.2Gy、つまり下側の線量域が0.2Gyになるまでは有意な値をとりません。2Gy以上になってまいりますと有意になります。したがいまして、それをもって0.2Gy以上の線量域でリスクが有意になるものと考えるわけです。
 そこの統計学的な手法及びその結果の表現が、これはちょっと難しい表現になりますが、「リスクが有意となる最低の線量域がゼロ~0.2Gyである」という表現をしますので、この表現をそのままゼロ~0.2Gyで有意なのだというように解釈、誤解される方もおられますが、この今申しました文章の意味は、今説明しました方法を踏まえたといいますか、方法論に基づいたものですので、その意味しているところは、0.2Gy以上でリスクが有意になるということでございます。
 あとこの図5を見ていただきますと、0.1Gyから下のほうで、結構1Gy当たりのERRが高い点推定値をとります。もちろんここは有意ではありませんし、それから、このあたりになってきますと、ベースラインですね、ゼロ線量の人でのがんの発生率をどのように想定するか、あるいは他の危険因子ですね、喫煙とか、生活習慣とかいろいろございます。あるいは地理的な要因、被爆者の方、市内から農村のほうに分布されておられますが、そういうことによるゼロ線量の方のがん死亡率の違い、そのようなものの影響をかなり大きく受けてきますので、ここのリスク推定値がどうなっているのかというのは、極めて不確実性の中に埋もれてしまうわけで、ここをどのように明らかにしていくというのが今の課題であるということで、ここは不確実であるということ以上のことは申し上げられないということでございます。
 したがいまして、モデルということを捉えますと、先ほど申しましたように、ゼロのところで収束してしまうようなモデルを使っておりますので、若干誤解を招くわけですが、この低線量域での不確実性というものは、今申しましたようなことであるわけです。それが、まず第1点でございます。
 とりあえず、ここでご質問等ございましたら。 

·  長瀧座長 どうぞ、ご質問いただきますように。もう十分議論にしている方も一杯いらっしゃいますけども、でもここで聞いている方に対してもわかりやすく説明するという意味でのご質問もあってもいいかと思いますので、どうぞ。
 要するに、先生、しきい値がないと、放影研ではしきい値がないと言っていると、しきい値がないから安全という線量はないので、全てゼロ以外は危険だという主張に対してどうお話しすればいいですかね。
·  小笹氏 安全か安全でないかというのは、この結果を踏まえた上での評価になりますので、私どもとしましては、この現実のリスクがこういうふうに推定されているということをご報告する立場でございますので、そこから先はその判断ということには踏み込まないということにしております。
·  長瀧座長 ほかにございませんか。
 どうぞ。
·  伴委員 その情報提供という観点から。このDose Responseを問題にするときには、横軸のDoseの精度ということが問題になると思うのですけれども、特にこの原爆のデータで、低線量域の線量評価の精度がどうであるのかというところを、先生からご説明いただけるといいかと思いました。
·  小笹氏 それは非常に難しいところはあります。この原爆被爆者の方の線量の評価は、その方がどこで被ばくされたかということを調査票、面接調査によって聞いております。そこの被ばく地点というものが最も重要な、つまり爆心地からの距離ですね、それが最も重要な要素になります。
 その次に、どのような遮へい状況であったか、家の中におられたのか、外におられたのか、家であればどんな家なのかということですが、この遠距離被爆者、こう一定線量の遠距離被爆者の方の場合には、そこがかなり大まかな被ばく状況、家の中とか、戸外、屋外とか、そういう状況ですので、それに対して平均的な日本家屋の中であれば半分とかいうような平均的な透過係数を掛けて線量を推定しているという状況になります。
 そういうこの調査をした当時は、この辺の低線量のリスクをそこまで問題にするということは、あまりある意味想定していなかったので、私が今ここでそういうことを言うのは、僣越でもあり、本当正しくないのかもしれませんが、非常にそこの部分の線量の問題というのは、そういう確かにそういう線量の問題の曖昧さの中で評価しているということは、今申しましたようなところです。
 これが1Gy、2Gyというようなところですと、非常に詳細な遮へい記録をとって、一人一人についてどのような家だったのか、どのような家の中の場所だったのかということを聞いて線量を推定されていますので、それは非常に正確なのですが、遠距離被爆者の方については、そこまでの精度はないというところは事実であります。
·  長瀧座長 ほかにございませんでしょうか。
 どうぞ。
·  本間委員 今のことに関連してお聞きしたいんですけど、私はこの分野は素人なんですが、そうすると線量の不確実さについては、今この図を拝見すると、エラーバーというか、バーになっている部分は、過剰相対゙リスクになっているわけですけれども、この横軸の方向にもそういう不確実さが線量の部分で、低線量には特にというおっしゃり方をしたわけですけれども、そういう不確実さを含めたこの単位、Gy当たりの、いわゆる傾きの有意差、ゼロ~2Gy以上では有意となるというようなその判断というのは、線量の不確実さについても、その不確実さを考慮してのメッセージというのは出ているのでしょうか。
·  小笹氏 線量の不確実性に関しては、一応40%程度の不確実性があるということは考慮に入っております。ただ、それはいわゆる物理線量の推定における不確実性でありまして、例えば、その人の被ばく地点は本当にそこなのかとか、そういうことではないのですね。ですから、ただ、大体2.5kmぐらいになりますと、これは広島でも長崎でも空間線量そのものが20mGyとかそういうレベルになってきますので、もうそれ以上は絶対多くならないわけですね。そういう意味では、もうあと少々誤差がどうあれ、非常に低線量の中で被ばくしたということ自体は間違いありませんので、そういう意味で、それが1Gyとかいうような形で誤差があるというような、そういう問題ではありません。
·  長瀧座長 どうもありがとうございました。
 この前のときは、もう議論もかなり具体的にやりましたので、今回はご本人から直接伺うということで、ここでは次に移らせていただきたいと思いますが、小笹先生どうぞ、続けて遺伝のほうをお願いいたします。
 

2014年5月14日水曜日

福島県の言論抑圧に抗議する(その2)「福島県・復興庁のいう『復興』だけが「復興」ではない」(2014.5.14)

 法律家 柳原 敏夫
今年3月に来日したノーム・チョムスキーは、民主主義社会における思想統制のやり方の1つとして、政府とマスメディアが、あらかじめ可能な選択肢のうち、一部の選択肢しか市民に提供せず、その中でしか選べないように仕向けることを挙げている。
例えば、社会システムとして、資本主義か社会主義かの2つの選択肢しか示さず、どちらかを選ばせるように仕向ける。そこで、人々はしぶしぶ資本主義を選択する、という具合に。

今回の「福島の復興」がその典型だ。福島県(そして復興庁らの政府)と マスコミは、人々は子どもも含めて福島に残って、復興に励むか、それとも復興を放棄して福島から去るか、この2つの選択肢しか市民に提供しない。そして、そこから選ばせる。後者はあたかも非国民のような扱いである。

しかし、言うまでもなく、そのどちらでもない「復興」のやり方がある。
チェルノブイリの経験から、除染が困難を極めるものであることは想定済みでのことであり(菅谷昭松本市長)、その間、放射能への感受性の高い子どもたちを汚染地域に住まわせ続けることは犯罪同然であり、従って、まずは子どもたちを非汚染地域に避難させた上で、大人たちは汚染地域の除染対策等と取り組むべきである。これが私たち「ふくしま集団疎開裁判の会」が2011年からずっと言い続けてきた「復興」(私たちの言い方だと「命の復興)である(菅谷昭松本市長もこの立場である)。
これに対し、福島県の子どもを汚染地域に住まわせ続けるやり方は、経済を最優先する余り、子どもの命を粗末にする「経済復興」である。
このように、復興には、少なくとも福島県が推進する「経済復興」と「ふくしま集団疎開裁判の会」や菅谷昭松本市長が主張する「命の復興」の2つがあり、人々はこの両方のことを知って、吟味した上で自らの決定を下すことができる必要がある。それが民主主義の基礎となる「言論と討論の広場」である。

この 「言論と討論の広場」に貴重な情報を提供したのが、今回の「美味しんぼ」である。
 「美味しんぼ」を読んだ読者は、(子どもたちが)福島から避難することと(大人が)福島を復興することが両立する「命の復興」という選択肢が現実味を帯びて迫ってくることだろう。
 そのとき、福島県が「美味しんぼ」が福島の復興を妨げていると非難するのは、単に、福島県が命より経済を優先する「経済復興」が妨げられていると文句を言っているだけのことだと理解できるだろう。命を最優先する「命の復興」にとって「美味しんぼ」は何ら妨げにならないどころか、鼓舞され、激励される。

福島県は、今こそ、「美味しんぼ」から学び、「子どもの命を守る」という政治の原点にたち返って、復興を再定義すべきである。

(※)自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する

(※)「漫画「美味しんぼ」の表現の自由を抑圧する福島県に抗議する」(ふくしま集団疎開裁判の会)  

2014年5月13日火曜日

自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する(2014.5.13)


  法律家 柳原 敏夫
 
民主主義で最も大切なのは「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」

大学で、法律のイロハとして、表現の自由の大切さについて、次のように教えられる―――真実に到達するためには自由な言論と討論の広場が不可欠である。そして、民主主義社会にとってこの広場の存在が最も重要な土台である。なぜなら、或る見解や政策に間違いや不公正があったときでも、自由な言論と討論の広場で議論をすることにより適切な世論が形成され、直接あるいは間接民主主義の過程を通じて、誤りを正すことが可能だからである。これに対し、もし表現の自由が抑圧された場合には自由な言論と討論の広場そのものが傷づけられ、真実に到達するための広場が機能しなくなって、もはや誤りを正すことが不可能になるからである(「憲法の基礎知識」84頁ほか)。
この意味で、政府や自治体(福島県)や学問的権威(原子力村)の見解に盲従する自由ないし賛成する自由なら、問題にする必要がない。表現の自由として守られるべき中心は批判の自由ないし反対の自由である。すべて権威の座にある裸の王様は人にそれを指摘されるのを嫌うからだ。つまり、表現の自由とは煎じ詰めれば、「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」のことである。この本質をヴォルテールは次の言葉で表現した(宮沢俊義「憲法講話」8頁)。
「わたしは、お前の言うことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、命にかけて守る」

現代の科学水準では放射線による被ばくと健康被害の関係は大部分が灰色

放射線による被ばくと健康被害の関係(因果関係の有無・そのメカニズム)について、良識を備えた人なら次の事実から出発することに異論がない筈である――「被ばくによる人体への影響は、いまも科学的に十分解明されていないことが多くあり」「内部被曝によって起こる病気や症状のほとんどが、明らかに外部から被曝していない人にも発症するものだということです。それでいて、原因が被曝によるものだと特定する検査方法が確立されていませんから、病院に行ってもよほどのことがない限り、それが被曝によるものだと確定診断されることはありません」(1991年から5年半チェルノブイリに医療支援活動を行った菅谷昭松本市長「原発事故と甲状腺がん」52頁)

被ばくと健康被害の関係が科学的に十分解明されていないとは、或る健康被害が発生したとき、現時点の科学ではそれが被ばくの影響である(危険)と断定できなければ、影響がない(安全)と断定できないことを意味する、つまり危険の可能性を帯びた灰色だということだ。そこが今日の科学の到達点であり限界でもある。
そこで問題は、この「灰色」の事態とどう向かい合うか、である。菅谷松本市長は次のように言う――「放射線による健康被害が科学や医学では十分に解明されていない現時点においては、チェルノブイリの現実から学んでいくしかありません。不安な時だからこそ、正しい情報を元に冷静に判断してもらいたい」(同書まえがき8頁)。

チェルノブイリ事故から学ぶ最大の教訓の1つは、被ばくと小児甲状腺がんとの因果関係を科学的に解明するのに事故から20年もかかったことで、それまでに4000名の子どもが甲状腺がんになってしまったことである。私たち市民にとって第1に必要なことは被ばくと健康被害の因果関係の科学的解明ではない。被害発生前に全島避難した2000年の三宅島噴火のように、被ばくによる健康被害の可能性という「灰色」の事態からいかにすみやかに抜け出すかである。

この点で、チェルノブイリ事故との対比と並んで、もう1つ重要な情報がある。それが「3.11以前との対比」である。ここでは福島原発事故で被ばく体験した人自身の、3.11以前の健康との対比である。福島原発事故は日本がそれまで経験したことがない史上最悪の人災である。事故後、3.11以前にはなかったような身体の異変が起きた時、思い当たる原因としてまず被ばくを疑うのは極めて合理的である。そもそも彼らには、被ばくと健康被害との関係の解明に20年も待つ時間的余裕はない。彼らに必要なのは今すぐできる最善の行動への指針である。こうした切羽詰った状況にいる人々から「灰色」の意味を、自身の体験から(「限りなく」から「少し」まで様々なレベルがあるとしても)、黒に近い灰色という見解が出て当然である。灰色に関するこの種の見解にはそれなりの合理性があり、「根拠のない噂」=風評などでない。

福島県と双葉町は民主主義の試練に立っている
 4月28日と5月12日発売の雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載の漫画「美味しんぼ」に福島県双葉町の前町長や福島大学の准教授が実名で登場し発言した内容は、自身の被ばく体験と同様の境遇に置かれた無数の市民たちから得た情報から導かれる範囲で、自身の見解を述べたものである(前町長の見解については、さらに医師により「被ばくとの関係」についてひとつの可能性として科学的な説明が補足されている)。それは現代科学では解明できない「灰色」をめぐる見解の1つになり得るもので、「根拠のない噂」=風評でない。

これに対して、福島県と双葉町は「総じて本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず」「双葉町に事前の取材が全くなく、一方的な見解のみを掲載した、今般の小学館の対応について、町として厳重に抗議します」と抗議声明を出した。

本来、国や自治体は未曽有の人災である放射能災害の被害の解明について、市民に対し可能な限り懇切丁寧な説明責任を負っている。
他方、前述した通り、「美味しんぼ」に登場する双葉町の前町長や福島大学の准教授の発言内容は科学的に未解明な「灰色」に関する合理的な見解の1つである。
にもかかわらず、福島県は何の説明責任も果さずにこれを根拠のない噂」=風評と決めつけ、「風評被害を助長するものとして断固容認できず」と非難したことは、無実の者をいきなり有罪と裁く即決冤罪にひとしく、「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」に対するこの上ない脅しと言わざるを得ない。
のみならず、2人の見解は、たとえ少数者の声だとしても、同様の境遇に置かれた数知れぬ市民たちの切実な声を代弁したものである。福島県と双葉町の抗議声明はこれらの市民の切なる声をも「風評」として封じ込めてしまうものであり、科学的に未解明な被ばくと健康被害について、市民は政府と福島県が取る見解以外口にすることすら許さないという態度にひとしい。これでは独裁国家そのものではないか。

前述したヴォルテールの言葉「わたしは、お前の言うことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、命にかけて守る」と正反対の道(独裁政治)を行こうとする福島県と双葉町は民主主義の試練に立っている。
そして、それをストップさせ、民主主義本来の姿に戻すのは主権者である私たち市民の手にかかっている。
共に抗議の声をあげ、機能不全に陥り唯我独尊でしか打開策を持てない凝り固まった姿を、私たち市民の手で元に戻しましょう。