2020年7月4日土曜日

【コロナ災害で実は先端科学技術が、人間世界が裁かれている】遺伝子組み換えイネ裁判の「序章、生物界の長老たちの語らい」(2010.6.17)

現在(2020年7月)、世界を席巻しているコロナ災害を15年前にシュミレーションした裁判が、2005年、遺伝子組み換えイネの野外実験の中止を求めたイネ裁判(別名、禁断の科学裁判)。

この科学裁判は、上記の野外実験の中でディフェンシン耐性菌(詳細は->こちら)という前代未聞の耐性菌の出現により地球規模の生態系と人の健康に重 大、深刻な影響をもたらす危険があると国内外の研究者から警鐘が鳴らされた裁判だった。にもかかわらず、日本の裁判所は、コロナ災害における米国やブラジルの大統領と同様、経済最優先を採用し、この危険な野外実 験を容認した。

15年前、 ディフェンシン耐性菌の出現により地球規模で人の健康に重 大、深刻な影響をもたらす危険性があると警鐘を鳴らしたこの提訴は、当時の政府やバイオ関係者はもちろん裁判所からも、唐人の寝言、風評被害と揶揄されるか無視された。

それは、2011年3月11日まで、原発事故の桁違いの未曾有の危険性に警鐘を鳴らした志賀原発差止判決が、「日本の原発はチェルノブイリとはちがう」が口癖の、当時の政府や原発関係者はもちろん裁判所からも、唐人の寝言、風評被害と揶揄されるか無視されたのと一緒だった。

そして、311原発事故の出現で、彼らこそ安全神話のボケの中にいたことを、自分たちの先端科学技術が原発事故の放射能の前で無力であることを、放射能から避難するしかない現実を、頭から思い切り冷水を浴びせられた。

今、コロナ災害の出現で、ウイルスによる地球規模の健康被害が発生するという未曾有の現実を突きつけられて、過去のSARS、MERS災害から教訓を学んでワクチンを作ることもしなかった政府やバイオ関係者たちは、またしても、安全神話のボケの中にいたことを、自分たちの先端科学技術がコロナの前で無力であることを、コロナから避難するしかない事実を、頭から思い切り冷水を浴びせられている。

我々が作り上げてきたという先端科学技術というものは放射能やコロナの前で無力さをさらけ出す、その程度のものでしかなかったのか。私たちもまた、この事実を何度でも)頭に叩き込む必要がある。
そして、そこから次の問いに向かうべきだ。
だったら、今、もう一度、私たちは、自分たちがこれまで築き上げてきた「科学」の正体、「科学」は過去、何のためにあったのか、現在、何のためにあるのか、未来、何のためにあるべきなのかを問い直す必要がある。

10年前 、上記の禁断の科学裁判の振り返りをする中で作った以下の「序章、生物界の長老たちの語らい」、今これを再読し、この問い直しの重要性を痛感している。
                        

                        三人の妖婆 きれいはきたない、きたないはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり。
                                    シェークスピア「マクベス」福田恒存訳

序章、生物界の長老たちの語らい

微生物は自分細胞が分裂して増えます。人間のような死はありません。だから、微生物の中には、他の生物に食べられたり、事故に遭わずに何千年、何億年も生き長らえているものもいるかもしれません。これが真の長老です。以下はこうした自然界の長老たちの或る日の語らいです。

微生物A 「人間世界では人間には良心がある、反省する力がある。だから、問題が起きたら、そこで良心に苛まれ、反省することが可能だ。だから、ナチスの時代でもオスカー・シンドラー[1]のような人物と行動があり得た」

微生物B 「しかし、生物界では、我々微生物もタンパク質も良心はないし、反省する力もない(少なくとも今までそれは証明されていない)。だから、問題が起きても、微生物やタンパク質が良心に苛まれ、反省することは不可能だ。リベンジ(報復)も行く着くところまで行くしかない。微生物やタンパク質には、シンドラーのような行動もあり得ない。」

微生物C 「そうともさ。だから、人間どもにせめて可能なことは、我々自然界のこの残忍酷薄の真理を直視して、自然界のリベンジが暴走する前に、人間自身の良心と反省する能力を総動員して、報復が暴走する前に未然の防止に向けて、最大限可能な取組みを開始するしかないさ」

微生物A 「しかし、とかく人間という奴は、現実を直視するのを嫌がるこの世で一番厄介な生き物さ。太陽を見つめれば目がつぶれるとか言ってお茶を濁したがる」

微生物B 「そして、とりあえず目の前でパニックが起きなければまあいいかと解決をズルズルと先送りする」

微生物C 「その結果、潜伏期間30年、満を持して毒が回って、そこら中に報復が開始されてから初めて大騒ぎする。」

微生物A 「だったら、人間も微生物やタンパク質と変わらない。」

微生物B 「そうよ。単に、自分たちは微生物やタンパク質とちがって高尚な高等生物と信じ込んでいるだけさ」

微生物C 「その驕りは、人間社会の都合ではなくて、自然界の真理に従ってリベンジされるだけのこと。」

微生物A・B・C
 「ざまみろ!ってことだ」

 



[1] 第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に収容されていたユダヤ人で自身の工場で雇用していた1,200人を虐殺から救った実業家。映画『シンドラーのリスト』の主人公。



子ども脱被ばく裁判、311以後、理不尽、不条理の極みにある福島の現実に対する異議申立ての集大成、憤怒の書面を提出(2014.7.1)

子ども脱被ばく裁判の最終準備書面が今朝、完成。これから印刷、福島の裁判所と被告国ほか代理人に配達作業に向け、出発。以下、その冒頭の目次。



弁護団は今回、2014年8月の提訴以来の集大成の積りでこの書面の完成に取り組んだ。その血と汗の結晶のような書面を見て、思わず、山本太郎の2011年10月15日の郡山デモでのスピーチを思い出した。
どうして(ふくしま集団疎開)裁判をしなくちゃいけないんだ?おかしいじゃないですか!国が率先して子どもたちを逃がす、そうしなけりゃダメなんですよ
https://www.youtube.com/watch?v=ufhARInF2m4

そうだ、
どうして、こんな膨大な書面を作成しなくちゃいけないんだ?おかしいじゃないですか!国が率先して子どもたちを逃がす、そうしなけりゃダメなんですよ

そうだ、この書面は、311以後、理不尽、不条理の極みにある福島の現実に対する異議申立ての集大成、憤怒の書面だ。
311以後に出現した、正義と不正義が入れ替わった世界、被害者と加害者が入れ替わった世界、一言で言ってあべこべの世界、このあべこべを正せる政治家は山本太郎しかいない。これと同じ意味で、この憤怒の書面が「一粒の麦として地に落ち、死んで」、311以後のあべこべの世界を正す大きな声として実を結ぶことをひそかに願っている。
(福島に向け、出発する朝)

太郎再発見:311後のあべこべの社会を正せる政治家は山本太郎しかいない(2020.7.3)

2020年7月3日金曜日

太郎再発見:311後のあべこべの社会を正せる政治家は山本太郎しかいない(2020.7.3)。

311原発事故後の社会。そのエッセンスはあべこべにある。
原発事故を起こした加害者たちは、救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、
命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される。
あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を、演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる。これをあべこべの不条理な社会と呼ばずして、何と呼んだらいいのか。

では、311後の理不尽なあべこべは正すことができるだろうか。
できる。では、どうやって?
それもまた311後のもう1つのあべこべによってである。
311原発事故のあと、それまでにはなかった出来事が起きた。
それまで、市民運動に縁がなかった人たちの中から、それこそ取り憑かれたかのように放射能の危険性について猛勉強し、猛烈に行動する人たち(新人類)が出現したからである。
例えば郡山市の長谷川克己さん、松本徳子さん。
二人は、事故直後、どこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど測定を行い、信頼できる学者・医師の講演会を求めて参加するなどメチャクチャ行動した。
まさしく、「放射能から自分の子どもと家族、そして人々の命、健康、暮らしを守りたい」とそのために自分で出来ることは全てみずから努力し、検討し、選択して行動しようと一心不乱で取り組んで来た。
だからこそ、人々の命、健康、暮らしを守ることが存在理由である日本政府、福島県に対し、その怠慢ぶり、無為無策という犯罪に対しても、当然のことながら、誰よりも情け容赦ない批判が及んだ。

そのような新人類の一人が山本太郎。
彼もまた、311までは市民運動とは全く縁がなかった、ただの役者。
それが311で雷に打たれたように変貌し、放射能から人々の命、健康、暮らしを守りたい」とそのために自分で出来ることは全てみずから努力し、検討し、選択して行動しようと一心不乱で取り組む市民の一人となった。
だから、彼もまた、人々の命、健康、暮らしを守ることが存在理由である日本政府がそれを果さないことに対し、常識を突き抜けた、情け容赦ない批判を加えた。例えば、2011年10月15日、郡山市でやったふくしま集団疎開裁判のデモ。デモ前のスピーチで山本太郎はこう発言した。
どうして(ふくしま集団疎開)裁判をしなくちゃいけないんだ?おかしいじゃないですか!国が率先して子どもたちを逃がす、そうしなけりゃダメなんですよ
疎開裁判を全否定された――当時、疎開裁判の弁護団長だった――私は、これを聞き、思わず「そうだ、なんで、こんな裁判をしなくちゃいけないのか。おかしい!」と合点した。

311後の正義と不正義が入れ替わったあべこべの世界を正すことができる人というのはこういう人、あべこべを自ら身をもって生きている人である。なぜなら、山本太郎はあべこべを正すことが自分の天命であることを311を経験する中で身をもって知ってしまったからである。

311後のあべこべの社会を正せる政治家は山本太郎しかいない。

(動画)2011年10月15日郡山デモ:山本太郎スピーチ