LSS14報の不正問題をただし、LSS14データの正しい再分析を行った結果、
「100mSv以下の被ばくにより健康影響がある」とする閾値なしの線形モデル(いわゆるLNTモデル)が最良のモデルであることが導かれました。
ところで、このLNTモデルに対しては、従来から被告国の持論として、次の反論が加えられて来ました。
LNTモデルは「仮説」にすぎず、科学的知見ではない、と。(※)
では、この批判はあたっているだろうか。
結論としてこの批判はあたっていない、なぜなら、
すべての科学的知見は所詮「仮説」にとどまり、ニュートンの万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論とてもその例外ではない。それゆえ、LNTモデルは「仮説」にすぎないから科学的知見ではないという批判は的外れと言うほかない。
(※)この結果、ICRPがLNTモデルを採用している意味も、《十分な科学的知見がないことを踏まえつつ、あくまでも公衆衛生上の安全サイドに立った判断としてこれを採用したもの》(被告国第6準備書面5頁4~5行目)と主張する。
この国の主張を批判するためにも、「LNTモデルは仮説にすぎず、科学的知見でない」と対決する必要がある。
この国の主張を批判するためにも、「LNTモデルは仮説にすぎず、科学的知見でない」と対決する必要がある。
これを述べたのが、今回提出の準備書面(67)で、第2の論点です。そのPDFは--> 本文
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原告 原告1-1ほか
被告 国ほか
準備書面(67)
――LSS14報の統計不正問題、その再検証により最良と判明
したLNTモデル及びその限界――
2019年 2月 8日
福島地方裁判所民事部 御中
原告ら訴訟代理人 柳 原 敏 夫
ほか18名
目 次
1、問題の所在
はじめに 略
第1、100mSv‥‥ 略
LNTモデルに対しては被告国などから次の批判が寄せられている。LNTモデルは「仮説」にすぎず、科学的知見ではない、と(被告国第6準備書面第2)。この批判はあたっているか。
2、結論
現代の科学哲学の常識によれば、すべての科学的知見は所詮「仮説」にとどまるものであって、ニュートンの万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論とてもその例外ではない。それゆえ、LNTモデルは「仮説」にすぎないから、科学的知見ではないという批判は的外れと言うほかない。
以下、その理由を詳述する。
以下、その理由を詳述する。
3、理由
18世紀のヒューム[1]から始まり、20世紀のポパー[2]に至る人たちが科学的真理について問うていることは、次の極めて単純なことである。
《近代科学は仮説を立て、実験によりその仮説の真理性を証明することだとされるが、だが、実験によって、本当に仮説の真理性を証明することができるだろうか?
或る時点で、或る場所で、或る物質に関する仮説が実験により証明されたとしても、だからといって、その仮説が、その特定の時間、場所、物質を越えて、普遍的に、つまり全ての時間、場所、物質において成立するという保証がどこにあるのか?
全ての時間、場所、物質において同様の実験を実施した上でそう主張するのならともかく、特定の実験しか実施しないで、その結果からなぜ普遍的な法則の成立を主張しうるのか?
なぜなら、特定の時点で実験が成功したからといって、その後の将来の時間の性質が変化するかもしれず(変化しないという保証はどこにもない)、あるいは、
特定の空間で実験が成功したからといって、それ以外の空間がすべて均質化されているという保証はなく、ひょっとして、別の場所で、その特定の場所とは別の性質を帯びているかもしれないのである(帯びていないという保証はどこにもない)。 》
ヒュームのこうした懐疑は別に荒唐無稽なことではない。事実、近代科学の最大の成功とされるニュートンの万有引力の法則すら、20世紀に至り、マクロとミクロの空間では妥当しないことが判明し、別の法則(量子力学、相対性理論)に取って代わった。
すわなち、仮説を立て、実験によりその仮説の真理性を検証するという近代科学において、全ての科学的知見はどんなに実験的裏付けを得られたとしても、依然「仮説」という性格を帯びざるを得ず、その性格を否定し去ることは不可能である(※1)。
このことをカール・ポパーは「科学上の学説はそれに対する反証がないかぎり、暫定的に真理であるとみなされるという仮説にとどまる」と言った(甲B148カール・ポパー「果てしなき探究」甲B149飯田隆「哲学の歴史第11巻論理・数学・言語【20世紀】」)。
これに従えば、LSS14データに対して最も当てはまりがよいと判定されたLNTモデルについて、次の命題が成立する。
「LNTモデルは、それに対する反証がないかぎり、暫定的に真理であるとみなされるという仮説にとどまる」
以上から、「LNTモデルは『仮説』にすぎず、科学的知見ではない」という批判は的外れというほかない。
(※1)近代科学の方法は限られた事例の実験から普遍的な命題を導き出すことである。これを論理学の概念で説明すると、単称命題(有限な事例){あるSはPである」から、全称命題(普遍的命題){すべてのSはPである」を引き出すことである。しかし、それは不可能である。なぜなら、すべてのSという要素を検証することはできないからである(甲B150柄谷行人「トランスクリティーク」71頁)。
《近代科学は仮説を立て、実験によりその仮説の真理性を証明することだとされるが、だが、実験によって、本当に仮説の真理性を証明することができるだろうか?
或る時点で、或る場所で、或る物質に関する仮説が実験により証明されたとしても、だからといって、その仮説が、その特定の時間、場所、物質を越えて、普遍的に、つまり全ての時間、場所、物質において成立するという保証がどこにあるのか?
全ての時間、場所、物質において同様の実験を実施した上でそう主張するのならともかく、特定の実験しか実施しないで、その結果からなぜ普遍的な法則の成立を主張しうるのか?
なぜなら、特定の時点で実験が成功したからといって、その後の将来の時間の性質が変化するかもしれず(変化しないという保証はどこにもない)、あるいは、
特定の空間で実験が成功したからといって、それ以外の空間がすべて均質化されているという保証はなく、ひょっとして、別の場所で、その特定の場所とは別の性質を帯びているかもしれないのである(帯びていないという保証はどこにもない)。 》
ヒュームのこうした懐疑は別に荒唐無稽なことではない。事実、近代科学の最大の成功とされるニュートンの万有引力の法則すら、20世紀に至り、マクロとミクロの空間では妥当しないことが判明し、別の法則(量子力学、相対性理論)に取って代わった。
すわなち、仮説を立て、実験によりその仮説の真理性を検証するという近代科学において、全ての科学的知見はどんなに実験的裏付けを得られたとしても、依然「仮説」という性格を帯びざるを得ず、その性格を否定し去ることは不可能である(※1)。
このことをカール・ポパーは「科学上の学説はそれに対する反証がないかぎり、暫定的に真理であるとみなされるという仮説にとどまる」と言った(甲B148カール・ポパー「果てしなき探究」甲B149飯田隆「哲学の歴史第11巻論理・数学・言語【20世紀】」)。
これに従えば、LSS14データに対して最も当てはまりがよいと判定されたLNTモデルについて、次の命題が成立する。
「LNTモデルは、それに対する反証がないかぎり、暫定的に真理であるとみなされるという仮説にとどまる」
以上から、「LNTモデルは『仮説』にすぎず、科学的知見ではない」という批判は的外れというほかない。
(※1)近代科学の方法は限られた事例の実験から普遍的な命題を導き出すことである。これを論理学の概念で説明すると、単称命題(有限な事例){あるSはPである」から、全称命題(普遍的命題){すべてのSはPである」を引き出すことである。しかし、それは不可能である。なぜなら、すべてのSという要素を検証することはできないからである(甲B150柄谷行人「トランスクリティーク」71頁)。
[1]デイヴィッド・ヒューム(1711~1776)。イギリス経験論哲学の完成者。それまでの哲学が自明としていた知の成立過程を源泉から問い、人間本性が確実な知に達することは原理的に保証されていないと考え、その懐疑論は、全称命題は成り立たず、ついに科学的法則は慣習的でしかないとした。主著は「人間本性論」
[2]カール・ポパー(1902~1994)。ウィーンのユダヤ人家系に生まれる。批判的合理主義の立場を打ち出し、科学方法論で科学的法則の普遍性は、法則が反証可能なかたちで提起されていて、それに対する反証が出てこない限りにおいてあるという「反証可能性」を打ち出した。20世紀最大の哲学者とも評される。主著は「探求の論理」
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