以下、その前日、子ども脱被ばく裁判の二審判決言い渡しがあった子ども脱被ばく裁判の弁護団MLへの投稿。
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柳原です。
昨日の判決の感想の続きで、私の担当の山下発言について、昨日喋った感想を少し整理してみました。
改めて、判決は破綻している、よくぞここまで破綻してくれたと、彼女は破棄されるためにあの判決を準備したのではないかとすら思えてきました。
参考までに、山下発言に言及した準備書面も添付しました(>221022控訴人準備書面(10)県準備書面(2)に対する反論(提出版) 230306訴人準備書面(12)第8山下発言問題(完成版))。
12.18控訴判決の「山下発言」問題の検討
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論点 |
12.18控訴判決 |
現実の控訴人の主張 |
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ア「被控訴人県は、事故の規模やリスクを過小化することで県民の不安を鎮静化させ、県民が避難という被ばく回避の措置を選択することにより「県行政に発生するパニック」を恐れ、山下俊一に福島安全論を展開させ、県民が避難措置を選択することがないよう依頼し、山下俊一はこれに応えて、科学者の顔をしながら、意図的に非科学的な福島安全論を説明して回り、当時福島県民が抱いていた正当な被ばくに対する警戒心を解き、県民に無用な被ばくをさせ、デマゴーグ(政治家)としての役割を果たした」という控訴人主張(34頁) |
1、こうした主張を裏付ける「具体的な証拠はなく」
2、そもそも、山下発言①~⑤が控訴人ら各自の避難行動への具体的な影響について的確な主張立証を行なっていない
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判決の摘示部分は、控訴人が控訴理由書135頁で、被控訴人県が山下俊一に放射線健康リスクアドバイザーを委嘱した趣旨について、原判決による控訴人主張の要約が正しくないから、原審準備書面(76・最終)の4、結論(110頁)に基づいて正しい要約はこうですよと主張したにすぎないもので、それ以上、控訴人は「被控訴人県が山下俊一に放射線健康リスクアドバイザーを委嘱した」行為自体を国賠法1条1項の違法行為に該当すると主張したことは一度もない。そもそも、当事者が主張もしていない請求について裁判所は判断すべきではない以上(処分権主義)、控訴裁判所は控訴人が主張もしていない上記論点について判断すべきでない。にもかかわらず、控訴裁判所は上記論点について判断を試み、主張を裏付ける「具体的な証拠はなく」とか「控訴人ら各自の避難行動への具体的な影響について的確な主張立証を行なっていない」などと判断をしたのは「余計なお世話」どころか処分権主義違反である。 |
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イ(ア)、山下発言を特定するに際して、山下発言を受け取る県民側の立場に立って、彼らがどのように受け止めたかで特定されるべきであり、情報の発信者である山下氏自身の意図や真意がどうであったかは、山下発言の特定の際の付随事情として斟酌されることはあったとしても、特定の基準とはなりえない、という控訴人主張について (控訴人準備書面(5)69頁以下。(2)、裁量の違法判断の対象の特定の方法について①.山下発言内容を特定する基準(その1)。控訴人準備書面(10)11頁以下。控訴人準備書面(12)26頁以下) |
1、「一般の聞き手や聴衆が、客観的にどのように受け止めたかにより認定すべきであり、発言の趣旨を理解する際には、発信者の意図や真意も考慮したうえでこれを行うのが相当である」 |
これは端的に誤り。なぜなら、本件は原発事故発生直後の緊急非常事態の状況下における「山下発言の特定」の問題であって、「平時」の平和で安定した状況下における特定の問題ではないからである。両者の違いを自覚する必要性、重要性については控訴人準備書面(12)26頁以下で強調した以下の通りである。これに対し、控訴判決は、本件をあくまでも「一般」の聞き手や聴衆を問題として捉え、「平時」と変わらない状況であるかのような観念上の想定の中で考えば足りるのだという立場に陥ったものであり、薬局距離制限違憲判決(最大昭和50年4月30日)から厳しく批判されるべきである。 ⑤.控訴人の主張「山下発言内容を特定する際、彼が実際に口にした外形的事実(言葉)に基づいて発言内容を特定すべきである」と被控訴人県の反論「山下氏の内心の真意や意図に基づいて山下発言を特定すべきである」(24.32~33頁) 目の前で発生した原発事故という生きた現実に立脚してその中で考えたとき、過去に経験したことのない健康被害の危機に直面していた県民にとって切実だったことは、今、ここで県民の健康被害の危険はどうなのか?という生きた現実に根ざした具体的な問題であって、そのような危機のただ中において、一刻も早く、避難も含め放射能から健康を守るために必要な対策を捜し求めて山下発言を聞きに来たのであった。こうした緊急非常事態の状況下においては徹底した表示主義による情報伝達が求められること、この緊急非常事態の状況下において県民はなぜ山下氏から発せられた言葉だけではなく、そこには表示されない彼の内心の隠れた真意や意図まで忖度して山下発言内容を特定しなければならないのか、その合理的な必要性も理由もないことが導かれる。 これに対し、目の前で発生した原発事故という現実から遊離し、あたかも「平時」と変わらない状況であるかのような観念上の想定の中で考えて足りるという立場に立ったとき、ちょうど平時の「山下俊一氏の人と人生」といった文化講演会において県民は山下氏の口から発せられた外形的事実(言葉)だけではなく、彼の内心の隠れた真意や意図まで忖度して山下発言内容を特定するということも不可能ではないと認められるように、本件でも、県民は山下氏の内心の隠れた真意や意図まで忖度して山下発言内容を特定することが不可能ではないことが初めて導かれるのである。 |
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イ(イ)、本件では伝達する情報の内容が科学という専門的知識に関するため、科学の素人である市民にとっては、「山下発言の全体を振り返って個々の発言の意味を理解し評価を下すこと」は不可能を強いることになり、実際には、市民の関心のある話題(放射能の危険性など)について、山下氏の片言の説明から理解してしまうのがむしろ現実的である。科学の素人である市民のこのような傾向を踏まえると、違法判断の対象となる山下発言を特定する際に、むしろ山下氏の短い片言の説明に着目して、その説明が「放射線に対する正しい知識」を県民に伝えているかどうかを判断すべきである、という控訴人主張について (控訴人準備書面(5)70頁以下。(2)、裁量の違法判断の対象の特定の方法について②.山下発言内容を特定する基準(その2)。控訴人準備書面(10)12頁以下。控訴人準備書面(12)25頁以下) |
講演や記者会見における発言は、その発言のみではなく、全体的な構成や質疑応答を含めた発言の全体、取り上げた項目及びこれに対する説明内容を総合的に考慮してその内容を判断すべきであり、(36頁) |
これも端的に誤り。なぜなら、本件は原発事故発生直後の緊急非常事態の状況下における「山下発言の特定」の問題であって、「平時」の平和で安定した状況下における特定の問題ではないからである。両者の違いを自覚する必要性、重要性については控訴人準備書面(12)25頁以下で強調した以下の通りである。ここでも控訴判決は、本件をあくまでも「一般」の講演や記者会見の問題として捉え、「平時」と変わらない状況であるかのような観念上の想定の中で考えば足りるのだという立場に陥ったものであり、薬局距離制限違憲判決(最大昭和50年4月30日)から厳しく批判されるべきである。 ④.控訴人の主張「山下発言を特定する際に、むしろ山下氏の短い片言の説明に着目して、その説明が『放射線に対する正しい知識』を県民に伝えているかどうかを判断すべきである」と被控訴人県の反論「山下発言の全体を振り返って個々の発言の意味を理解し評価を下すべきである」(9.12~13頁) 目の前で発生した原発事故という生きた現実に立脚してその中で考えたとき、過去に経験したことのない健康被害の危機に直面していた県民にとって切実だったことは、今、ここで県民の健康被害の危険はどうなのか?という生きた現実に根ざした具体的な問題であって、そのような危機のただ中において、一刻も早く、避難も含め放射能から健康を守るために必要な対策を捜し求めて山下発言を聞きに来たのであった。そのような状況において、科学の素人である県民にとって、『山下発言の全体を振り返って個々の発言の意味を理解し評価を下すこと』は不可能を強いることであり、県民にとって切実な話題(放射能の危険性など)について、山下氏の片言の説明から理解してしまうのがむしろ現実的であることが導かれる。 これに対し、目の前で発生した原発事故という現実から遊離し、あたかも「平時」と変わらない状況であるかのような観念上の想定の中で考えて足りるという立場に立ったとき、ちょうど平時の「山下俊一氏の人と人生」といった文化講演会において県民は山下発言の全体をもって彼の個々の発言の趣旨を理解、評価する余裕がありそれは不可能ではないと認められるように、本件でも、県民は山下発言の全体を振り返って個々の発言の意味を理解し評価を下すことが不可能ではないことが初めて導かれるのである。 |
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イ(ウ)。ここで3つの論点を一緒にしているので、分けて示す。 (1)、事実認定の過誤。(a)、調査義務違反 (2)、福島原発事故以前の山下発言とのズレ・矛盾との対比 控訴人は、原審において山下発言が科学的知見から逸脱していることを山下氏自身による福島原発事故以前の発言と対比して、両者の間にズレ・矛盾が生じていることを指摘して証明した(控訴理由書138~139頁)。ところが原判決は、この強力な証明方法をことごとく無視した上で、山下発言が科学的知見から逸脱しているかどうかについて評価を下した。カントをはじめとする科学哲学の常識からすれば、山下発言を福島原発事故以前の山下発言と比較対照することを通じて、あたかも山下氏が2人いるかのような錯覚を引き起こす経験ができ、その体験の中から山下発言の科学的逸脱の有無を吟味できるところ、原判決はこのような専門的経験則の意義を理解せずその取捨選択を誤った。それは、裁量権の逸脱・濫用の審査の事実認定の経験則の適用の局面において、山下氏が福島原発事故以前から収集してきた証拠から科学的知見を導く際に重大な経験則違反をしていることを強力に裏付けるものであるが、原判決は山下氏の重大な経験則違反を見落とした(控訴人準備書面(5)79頁以下)。 (3)、②.科学的知見が複数ある場合の伝達方法 科学的に未解明で「不確実な事態」とされる対象(現象)に対して科学的知見が複数並存する場合、これら複数の見解を正確に提供すべきであって、自己の見解のみ提供することは許されない。本件では、低線量被ばくによる健康リスクという学者の間でも決着のついていない問題について健康リスクを重視しない見解とこれを重視する見解が並存し、その結果、何が「放射線に対する正しい知識」であるかという問題が生じる。この点、個人の尊厳の立場からすれば、原発事故に遭遇した被災者にとって、放射能のリスクを回避するためいかなる方法を選択するか、その選択をできるかぎり主体的、自主的に自己決定できるよう最大限尊重されることが要請される。そこで、この選択権を保障するために、健康リスクに関する並存する複数の見解を被災者に正確に提供することが求められる(控訴人準備書面(5)68頁以下)。
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仮に、山下発言①~⑤について、山下俊一は被控訴人権の公務員ではなく、その行為が被控訴人県の行為というべき地位にあるものでもないから、被控訴人県の裁量行為に違法はない。
山下発言①~⑤について、講演ないし記者会見の全体としてみれば、科学的知見に著しく反する内容であるとはいえず、
具体的なSPEEDI情報や放射性物質の拡散状況等の調査をしないことが裁量権の逸脱・濫用に当たることを示す具体的な事情も見当たらない |
これも端的に誤り、お粗末極まりない。予防接種の担当医が国賠の「公務員」に該当するように、国賠法1条の「公務員」とは「公務員の職にある者だけでなく、給与・報酬の有無を問わず、一時的にでも公務を委託されてこれに従事する一切の者」をいう(注釈民報(19)(乾昭三)395頁)。従って、県放射線健康リスク管理アドバイザーが「公務員」であることは明らかであり(原告準備書面(5)50頁)、この点は被控訴人県すら争わない(被告県準備書面(4)18頁(2))。
ここで控訴人から主張された山下発言の違法性について、裁判所にとっても反論することは無理と判断し、かくなる上は、別の理屈でもって控訴人主張を蹴っ飛ばそうと考え、目も当てられない「公務員」非該当説を言い出した。
これは「山下発言①~⑤」がたとえ科学的知見に反していようとも、その反する程度が「著しく反する」ものでない限り、山下発言が国賠法1条1項の「違法」なものに該当しないという立論である。しかし、素人の発言ならまだしも、科学的知見の専門家を任ずる山下俊一のような人物の発言が「科学的知見に著しく反しない」限り、国賠法の違法に該当しないというのはなぜなのか、これは世界の七不思議としか言いようのない、本判決の最大のミステリーの1つである。
控訴判決の右判示は、本件が過去に前例のない深刻な「裁量権の逸脱・濫用」問題であることをまるっきり理解していない。すなわち、これまで「裁量権の逸脱・濫用」問題は星の数ほどあったかもしれないが、我が国は福島原発事故の発生により原発事故の及ぶ空間的範囲の予測不可能性及び原発事故による放射線被ばくがもたらす健康被害の空間的及び時間的影響の予測不可能性という未曾有の事態のもとで、行政庁の裁量行為が違法な「裁量権の逸脱・濫用」とならず、合法の範囲にとどまることをどうやって確保するかという災害における過去に前例のない深刻な「裁量権の逸脱・濫用」という問題に初めて直面したのである。そこで、原発事故に関する行政庁の「裁量権の逸脱・濫用」の判断を行政庁の判断過程の各局面における過誤の有無を検討し、それらを総合判断して行うにあたっては、なによりも上記の「未曾有の事態」に関する「事実認定の過誤」の有無を中心に吟味検討する必要がある(控訴人準備書面(5)5頁)。この点は、さらに立法事実論からも基礎づけられる。すなわち、 福島原発事故というそれまで頭の中で想定すらしなかった過酷な現実を経験した法律家が避けて通れない法律問題のひとつが、本件の裁量問題を単なる形式的、論理的な概念法学=「死んだ行政法」として片付けることではなく、現実世界の「生きた行政法」の中で再構成することである。そのために、「当該行政行為が現実に国民にいかなる影響を及ぼしたのか」「行政庁と国民の間の現実の関係」という現実に着目した「生きた行政法」のもとで裁量問題を検討することである。この点で、現実に即して「生きた憲法」のもとで法律の合憲性判断を行った最高裁昭和50年4月30日薬局距離制限違憲判決の立法事実論は極めて有益、示唆的であり、立法事実論の意義を行政行為の適法性の判定に対応させたのが、行政庁の判断過程の最初の局面である「事実認定における過誤」を中心に吟味検討することである(控訴人準備書面(5)14頁)。
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