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2021年3月22日月曜日

【報告】3.19官邸前アクションのスピーチ&3.1福島地裁判決の歴史的意義について(2021.3.20)

 3月19日、脱被ばく実現ネット主催の官邸前アクションに参加、3月1日の子ども脱被ばく裁判の福島地裁判決に対する報告を喋った。以下、その動画。



上記の報告を整理して、上記の福島地裁判決に対する以下の感想を書いた。

      ***************

3月1日福島地裁判決に関する原子力ムラの2つの誤算

弁護団 柳原敏夫

311から10年、私たちは今、どこにいる?

確信を持って言えることが1つある。それは――311から10年が経過し、「私たちは今、どこにいるのか?どこに行くのか?」と問うた時、その答えは子ども脱被ばく裁判の中にある、と。

なぜなら、福島原発事故は日本史上最悪の未曾有の過酷事故であり、事故の被ばくにより多くの子ども・市民の命、健康が前代未聞の危機に陥った時、こともあろうに、この事故発生の張本人の1人である日本政府は事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、その結果、多くの子ども・市民に無用な被ばくをさせ、未曾有の危機を招いた。この国家の犯罪の法的責任を真正面から問うた裁判が子ども脱被ばく裁判だからである。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの文科省が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
・密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした、原発事故に関する「世界で最初の裁判」だからである。

原子力ムラの2つの誤算

この「世界で最初の裁判」の一審判決(以下、単に「一審判決」という)が31日、福島地裁であった。結果は原告の全面敗訴。だが、そこには原子力ムラにとって大きな誤算が2つ生じた。  

誤算の第1が判決の理由づけ。日本の支配者の古くからの教え「百姓は死なないように生きないように」によれば、正しい敗訴判決とは「一方で、原告が矛先を収めるようにご褒美を与えて適当になだめすかし、他方で、しょうがないかと諦めるようにチンプンカンプな理由で原告をチョロまかす」ことにある。ところが、今回の判決は第1に、原告を「適当になだめすかす」ようなご褒美が一つもない!その上、チンプンカンプで原告をチョロまかす理由になっていない!「子どもの命、健康を守って欲しい」という原告のささやかな願いを託した原告主張をことごとく、これでもかこれでもかと完膚なきまでに完璧に蹴っ飛ばし、真っ向から否定してしまった。原告をリングの底に思い切り叩きのめし、二度と再挑戦できないように蹴散らしてしまった。その判決理由は一言で言って「理不尽の極み」だった(その中身は後述)。これがそして、次の誤算を招いた。
誤算の第2が控訴手続き。2014年8月提訴以来既に6年半の歳月が流れ、この間、「原発事故は終わった。東京オリンピックを復興のシンボルに」といったまことの風評被害が吹き荒れる中で、提訴当時の決意を維持持続することは困難を極め、それに追い討ちをかける3月1日の原告全面敗訴の過酷判決という逆風、控訴は原告にとって大きな試練だった。ところが、この逆境の中、控訴期限の15日に行政訴訟6名、国賠訴訟125名の原告が控訴した。311から10年も経った今、約8割の原告が控訴したことは「原発事故は終わっていない」ことの何より証であり、原子力ムラにとって大誤算である。

この誤算をもたらした最大の原因は「理不尽の極み」判決にある。「子どもの命、健康を守って欲しい」という原告のささやかな願いに頭から冷や水をかけ、散々に蹴散らした「理不尽の極み」判決にもし異議申立しなかったら、「子どもの命、健康を守って欲しい」という願いを自らの手で葬り去ってしまうことになる。そのような理不尽の共犯者になることだけは、普段はこの裁判のことを忘れていたとしても、どんなことがあっても出来ない、許せない、と。「理不尽の極み」判決が原告に提訴の原点を鮮やかに呼び覚ましてくれ、再び、原告の心を突き動かし、異議申立という新たな行動を引き起こした。

理不尽の極めつけ――7千倍の学校環境衛生基準問題

 一審判決の理不尽の極めつけが7千倍の学校環境衛生基準。私たちの先人は、半世紀前、深刻な公害で苦しむ日本の子ども・市民の命・健康を守るため、コロナによるマスク着用どころか、ガスマスク着用が必要になると警鐘を鳴らし[1]、その救済に尽力した結果、世界最先端の安全基準を制定するに至った。それが、子どもたちの通う学校の環境衛生基準として、その毒物に生涯晒された場合、10万人に1人に健康被害が発生というものだった。ところが、現在に至るまで日本政府はサポタージュして放射性物質について学校環境衛生基準を定めようとしない。この法の抜け穴に対し、原告は本裁判の最重要論点として、放射性物質についても学校環境衛生基準が定める他の毒物と同等の基準つまり「10万人に1人が健康被害」を適用すべきと当然のことを主張したが、一審判決はこれを真っ向から否定、生涯晒されると「10万人中7000人ががん死」を意味する年20ミリシーベルトで問題ないと判示した、他の毒物と比較し、安全基準の7千倍の引き上げがなぜ正当化されるのか、その理由を一言も述べないまま。半世紀前、宇井純、田尻宗昭、戒能通孝東京都公害研究所所長、美濃部亮吉元都知事らが命がけで公害問題と取り組み、尽力を尽くした末に勝ち取った環境基準という先人の努力の賜物を、311後の日本政府と一審判決は放射性物質という毒物についてチャラにし、7千倍引き上げという安全基準の世界最貧民国に転落した。このままでは宇井純ら無数の先人たちの努力は浮かばれない。

不都合な真実にはスルー――科学的知見から逸脱した山下俊一発言問題
2011年に提訴したふくしま集団疎開裁判で仙台高裁にただ一人踏みとどまった原告のお母さんに「放射能の安全基準をどのように評価しているか」と質問した時、彼女は「311事故前の基準と比べて評価している」と答えた。事故前との比較、これが本裁判でも、事故直後の福島での山下俊一発言が科学的知見から逸脱したものかどうかを照らし出す鏡だった。
例えば、山下氏は3月20日の記者会見で「この数値(毎時20マイクロシーベルト)で安定ヨウ素剤を今すぐ服用する必要はありません」と断言した。しかし、311前、チェルノブイリ事故直後、ソ連では安定ヨウ素剤は配布されず、そのため多くの子どもたちがのちに甲状腺がん等の病気になったのに対し、隣国ポーランドでは直ちに 安定ヨウ素剤を配布したため、子どもの甲状腺がんの発生はゼロだった事実を指摘したのは山下俊一氏その人である[2]
また、山下氏は5月3日二本松市講演で、「何度もお話しますように、100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。」と安全性を断言した。しかし、311前、山下氏は講演で、チェルノブイリ事故について、「放射線降下物の影響により‥‥半減期の長いセシウム137などによる慢性持続性低線量被ばくの問題が危惧される。」[3]、医療被ばくについて、「主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」[4]と危惧、リスクをを指摘したのは山下俊一氏その人である。

 原告は、山下発言と311前の発言を「比較した時、その正反対とも言うべき矛盾した内容に、果して同一人物の発言なのかといぶかざるを得ない」と子どもでも分かるほど明快な矛盾を突いた。

 その上で、原告は、山下発言の評価方法について、現在の定説であるテクスト論[5]に基づき《山下発言の意味を判定するのは語り手の山下氏ではなく、放射能の危険性について専門的知識を持たない聞き手の一般聴衆である。一般聴衆にとって切実なことは、自分が知りたいと思っている問題について山下氏がどう発言したかという個別具体的な発言であって、山下講演の全体的な評価などではない。山下講演の個々の発言中に「一つでも不合理な発言」を聞いた一般市民がそこから放射線健康リスクについて「不合理な結論」を引き出し、「すっかり安心して」それまで抱いていた放射能に対する警戒心を解いてしまう恐れがあったかどうかがここで問題なのである》と常識的見解を主張した。

 しかし、一審判決は一方で、山下発言の評価方法に関する原告の常識的な主張を真っ向から否定、またしてもその理由を一言も明らかにしないまま。他方で、山下発言と311前の発言との矛盾について、真っ向から否定するどころか、ただの一言も触れずコソドロのようスルーして蹴っ飛ばした。これは真っ向から否定する勇気すら持てなかったからである。こんないい加減なやり方で、山下発言を「科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの」[6]と全面的に擁護した。あたかも独裁者が自国の民主主義を云々するようなもので、「理不尽の極み」以外に表現が見つからない。

「理不尽の極み」判決は311後の日本社会を写し出す鏡

とはいえ、裁判所は決して自ら望んで、あのような理不尽満載の判決を書いたのではなかった。放射性物質に関する環境基準の抜け穴問題ひとつ取っても、もし原告があそこまで厳しく追及しなければ、一審判決も適当にお茶を濁したかったに違いないが、原告の峻烈な追求を前にその余地はなかった。この意味で、「理不尽の極み」判決は311後の日本政府の対応の問題全てと正面から向き合い、その理不尽さを余すところなく解明しようと努力した原告の追及がもたらした帰結であった。この意味で、我々が手にした「理不尽の極み」判決は311後の日本社会を写し出す鏡である。

歴史の訓えによれば、理不尽が凝縮された出来事が人々の心に共有された時、それは社会に途方もない地殻変動を引き起こす。1987年6月の韓国の民主化運動も、ひとりの学生の拷問死という理不尽な出来事が引き金であり、 2011年春の中東の民主化運動も、ひとりの露天商の若者の抗議死という理不尽な出来事が引き金だった。この意味で、原告が6年半かけて手に入れた「理不尽の極み」判決もまた地殻変動を引き起こす可能性を秘めている。「理不尽の極み」判決を手に入れるためにこの間、数え切れないほどの人々の参加、協力、応援があった。この尽力を無駄にすることのないよう、世の人々にこの「理不尽の極み」判決を示して、「この酷い判決が311後の私たち日本社会を写し出す鏡なんですよ」と訴え、理不尽を共有していきたい。その共有の積み重ねの中から未来の「地殻変動」を引き起こすために、ささやかでも、これからも奮闘したいと思う。

以上が、私がこの判決から引き出した歴史的意義である。

                                 (2021.3.20



[1] 1970年7月25日朝日新聞()「亜硫酸ガスの危険警告 10年後には5倍 ガスマスクが必要に」

[2]論文「放射線の光と影:世界保健機関の戦略20093月。537頁左段1行目以下。

[3] 講演「被爆体験を踏まえた我が国の役割」3頁(2000年)

[4] 上記論文543頁左段。

[5] ある作品の意味は何かついて、作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方。テキスト論、読者論ともいう。

[6] 判決要旨15頁。

 

2021年3月16日火曜日

【速報4】判決直後アクション:子ども脱被ばく裁判の行政訴訟6名、国賠訴訟125名の原告が異議申立(控訴)

 3月1日に原告の全面敗訴判決が言渡された子ども脱被ばく裁判、3月15日、福島地裁に控訴状を提出し、控訴。以下、当日の報告。
                      

                     控訴状提出に集まった原告代理人


3月前半は「瞬く間」に過ぎてしまった――この日、控訴手続に参加した原告、代理人、支援者全員の率直な感想でした。判決言渡しがあった3月1日から控訴期限の15日まで無我夢中だったからです。

8日の弁護団から原告団に対する一審判決の説明会(オンライン)で、参加した原告の方々は全員控訴を表明し、11日の「控訴の声明」の通り、控訴が正式に決定しました。とはいえ、この日の参加した原告はわずかであり、他方、控訴は各原告自身が決定する事柄であるので、いったい、どれくらいの原告の方々が控訴するのか未知数でした。

そのため、この8日から15日の提出まで、各原告への控訴の打診を行い、文字通り無我夢中の日々でした。2014年8月提訴以来6年半の年月が流れ、「原発事故は終わった。東京オリンピックを復興のシンボルに」といったまことの風評被害が吹き荒れ、それに追い討ちをかける1日の原告全面敗訴の過酷判決という逆境の中で、控訴は多くの原告の人たちにとって大変な試練だったはずです。しかし、この逆境にもかかわらず、15日には、行政訴訟6名、国賠訴訟125名の原告の方々が控訴しました。この人たちの存在は弁護団、支援団を鼓舞し、逆流に真正面から立ち向かおうと決意した原告の人たちに負けないように、私たちに第2ラウンドの戦いに立ち向かう決意を引き出してくれました。

3月15日から50日後(5月4日)が控訴審における私たちの所信表明ともいうべき控訴理由書の提出期限です。次は、一審判決のまちがい、おかしな点をみんなで検討する番です。裸の王様を笑うのが子どもです。その子どもが大笑いできるくらい「一審判決のまちがい、おかしな点」を解き明かして、大人も子どもも共有したい。そして、その集大成として控訴理由書が完成するように、これから「みんなで作る控訴理由書」の取り組みに励みたいと思う。

以下は、控訴状と
この控訴状提出に集まった原告、代理人、支援者による裁判所前の集会の動画。



             集会後、控訴状提出のため裁判所に向かう原告と代理人。


2021年3月5日金曜日

【速報3】山下俊一氏を守るため山下氏の教え「放射線、正しく恐れよう」に背くほかなかった判決(2012.3.3)

東京電力の社長だった清水正孝氏は311事故直後、出張先から東京本社に戻るため自衛隊機に搭乗しようとして拒否された。これに対し、山下俊一氏は、国賓扱い並みに、自衛隊機に飛び乗り(もっとも、弟子の高村昇氏は搭乗適わず、テクテク電車を乗り継いでの福島入りした)、3月18日、長崎から福島入りした。その山下俊一氏の福島デビューは翌19日の記者会見だ(以下、高村氏と並ぶ山下氏)。

情報オンチの原告代理人(柳原)が山下俊一氏の名前を初めて知ったのは、それから3日後の4月22日の日経新聞全国版。放射線「正しく恐れよう」と訴える、以下の記事だった(記事全文->こちら)。


311直後から、マスコミに登場した東大、京大の原子力ムラとおぼしき学者たちの、腰の引けた意味不明のメッセージに不信を抱き、辟易していた中、この単純明快なメッセージに鮮烈な印象を受けたのは私だけではなかった気がする。

しかし、最大の問題は次にあった---どうしたら「正しく恐れる」ことが認識できるのか。
その基本原理は先入観、固定観念を排除すること。言い換えれば「偶像崇拝の禁止」。長崎の被ばく二世という経歴から、即、信頼できるとは限らない。検証・再吟味が不可欠だった。
私にとって、その検証・再吟味の最も有力な方法が、カントが言った次の「視差(ズレ)」の中で考えること、つまり2つの異なった立場からの考察を比較することだった。

さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
 両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
》(カント「視霊者の夢」)

それは、放射能という《見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒》(アーネスト・スターングラス博士)と言われる最も困難で、厄介な物質の危険性を理解する上で、欺瞞を避け、正しく認識するために決定的に重要な方法に思えた。

例えば、それは次の3つの方法として具体化された。
①.時間的な視差(3.11以前と以後との対比など)。
②.場所的な視差(チェルノブイリと福島との対比など)
③.人的な視差(「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比など) 

放射能は《見えない、臭わない、味もしない》厄介な毒だが、他方で、人間界にはない、すこぶる単純明快な性質を持っている。それが、放射能には御用学者やマスコミのマインドコントロールがいっさい通用しないこと、放射能は収束宣言を出す政府要人にも、安全神話を振りまく御用学者にも、貧富の差にもかかわらず差別せずに情け容赦なく人々にひとしく被ばくを浴びせることだった。
この無差別被ばくの性質の結果、政府要人や自治体の首長、御用学者が一般市民向けに口では「屋内退避で十分」「自主避難の必要はない」と言っている時でも、現実に、彼ら自身と家族の避難をどのように取り扱っているか、それさえ見れば避難の必要性についての真実が判明する(③.人的な視差)。311直後、一般市民は口にこそ出さねど、政府要人や自治体の首長、御用学者とその家族の動静を注視していた。

この「視差(ズレ)」の中で考える方法が最も威力を発揮したのが、311後の福島での山下俊一氏の発言の評価である。なぜなら、彼は311以前から放射能の危険について、何度も発言をしてきたからで、そこから、311以前の山下発言と311後の山下発言を比較し、その視差(ズレ)の吟味を通じ、山下発言について欺瞞を避け正しく認識することが可能になるからだ。

そこで、この点について、子ども脱被ばく裁判で原告は、次の通り、主張した(アンダーラインは原告代理人)
1、100ミリシーベルト以下の被ばくの危険性について
 これについて、山下氏は、311前には次の通り、発言していた(原告準備書面(5)42~43頁)。

講演・論文

内容

①.「被爆体験を踏まえた我が国の役割」3頁(2000年)(甲C33)

4.今後の展望
チェルノブイリ周辺住民の事故による直接外部被ばく線量は低く、白血病などの血液障害は発生していないが、放射線降下物の影響により、放射性ヨードなど による急性内部被ばくや、半減期の長いセシウム137などによる慢性持続性低線量被ばくの問題が危惧される。現在、特に小児甲状腺がんが注目されている が、今後、青年から成人の甲状腺がんの増加や、他の乳がんや肺がんの発生頻度増加が懸念されている。

②.「放射線の光と影」543頁左段(2009年)(甲C34)

主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません‥‥

③.「放射能から子どもの未来を守る」9~10頁

【児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長(以下、児玉教授という)による原発事故以前の山下アドバイザー発言の紹介】

山下氏は、福島原発事故以前は、学会で、放射能を使うPETやCT検査の医療被曝については、2ミリシーベルト程度の自然放射線と同じレベルについても、「医療被曝の増加が懸念される」と述べ()、学問的には危険性を認め対応を勧めている。

)「正しく怖がる放射能の話」(長崎文献社)、「長崎醫學會雑誌」(長崎大学) 81特集号

ところが、311後に山下氏は、次のような発言をするに至った。

何度もお話しますように100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。(5月3日二本松市講演。特集「告発された医師」〔甲C9〕23頁右段下から18行目以下) 

311前と後のこれらの発言を比較した時、その正反対とも言うべき内容に対し、一体どうやったら、両者の整合性がつけられるのか理解できないと主張した。正常な頭で考えたら、山下俊一氏は2人いる(注:もう1人は田中俊一氏という意味ではない)のではないかと疑わざるを得ない。その積りで、原告代理人はこう主張した。

(両者の発言を)比較した時、その正反対とも言うべき矛盾した内容に、果して同一人物の発言なのかといぶかざるを得ない程である。》(原告準備書面(60)12頁)

しかし、判決はこれに対して、一言も触れなかった。というより触れらなかった。もし触れようものなら、山下氏を救うロジックを見出すことは不可能だと分かっていたから。そこで、「三十六計逃げるに如かず」の格言に従い、だんまりを決め込んだ。

これは次の安定ヨウ素剤の服用についても同じだった。

2、安定ヨウ素剤の服用
 これについて、山下氏は、311前には次の通り発言し、すばやく安定ヨウ素剤を飲ませたポーランド政府の対応を推奨していた。

日時・場所

発言

①.甲C34「放射線の光と影」537頁左段1行目

ポーランドにも、同じように放射性降下物が降り注ぎましたが、環境モニタリングの成果を生かし、安定ヨウ素剤、すなわち、あらかじめ甲状腺を放射性ヨウ素からブロックするヨウ素をすばやく飲ませたために、その後、小児甲状腺がんの発症はゼロです。

②、甲C33「被爆体験を踏まえた我が国の役割」ラスト

最後に、チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、「転ばぬ先の杖」としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある。

ところが、311後に山下氏は、次のような発言をするに至った。

日時・場所

発言

①.2011年3月20日記者会見(甲C第9号証)

【安定ヨウ素剤の配布の有無について】

この数値(毎時20マイクロシーベルト)で安定ヨウ素剤を今すぐ服用する必要はありません。


311前と後のこれらの発言を比較した時、ここでも、その正反対とも言うべき内容に対し、一体どうやったら、両者の整合性がつけられるのか理解できないと主張した。正常な頭で考えたら、やはり、山下俊一氏は311前とは別人の山下氏が2人いるとしか思えない。

その上、311前と後の山下発言の文脈・状況の違いについて次のが重要だった。311前の発言は、山下氏にって所詮、他国の話、彼自身の利害に殆ど関係のない話であり、中立公正話をするで別段何の障害もなかった。彼は安んじて、真実を、100ミリシーベルト以下の真実ポーランドの真実を語ることができたのである。しかし、311後は状況が激変した。彼にとってのボスであり、最大の関心事である日本政府の存亡がかかっている。バイアスがかかるのは当然である。このように、山下氏の置かれた状況を理解して、311前と後の彼の発言を比較し、読み解けば、おのずと評価が下されるはずだった。

しかし、判決はまたしても一言も触れなかった。ここでも、触れらなかった。もし触れようものなら、山下氏を救うロジックを見出すことは不可能だと分かっていたから。ここでも、「三十六計逃げるに如かず」の格言通り、だんまりを決め込んだ。

以上の通り、311直後に山下語録として日経新聞が紹介した《放射線「正しくおそれよ」を放射線に正しく適用した《311前と後の山下発言の比較・検討》という具体的な方法を、山下発言に適用すれば、山下発言の正しい評価が可能になった。しかし、それでは山下氏を救うことはできない。そう悟った裁判所は、この方法を適用することを無視し、黙殺した。

つまり、裁判所は、山下氏を救うために、《放射線「正しくおそれよ」という山下氏の教えに背いたのである。
もちろん、裁判所を背信的偽善者に陥れた元凶は山下氏である。
《放射線「正しくおそれよ」》を受けのいいキャッチコピーとしてしか考えず、福島の人たちにとって無名の山下氏の311前の発言なぞ福島の人たちは誰も知らないことをこれ幸いとばかりに、311後に、放射能の具体的な話ついて、手のひらを返したように311前とは正反対の安全をぶちあげ、振りまいたのである。これが犯罪と言わずに何とおうか。この欺瞞的な山下発言を救済するために、裁判所としては311前と後の山下発言の比較・検討》を無視、黙殺するほかなかった。しかし、その結果、最大の被害者は被ばくした福島の子どもたちである。裁判所もまた、その責任が永久戦犯として歴史に刻まれる。

2021年3月3日水曜日

【速報2】311直後の山下俊一氏の発言を「科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの」と認定した判決(2021.3.2)

               311直後に長崎から福島入りした山下俊一氏

 3.11から12日目の記者会見。「僕たちはがんになりません、というのは保証できますか?」という外国人記者の質問に、
  「『絶対安心』ということは誰も言えない。しかし、『安心して下さい』とお願いできる。ここは大事です!」と答える山下俊一氏(映画'A2-B-C'(予告編)から)。

現在、 子ども脱被ばく裁判の弁護団は、3月1日に言渡された判決の詳細な検討の途中です。さしあたり、311直後の福島での山下俊一氏の発言(以下、山下発言と略称)問題の担当の原告代理人(柳原)から、山下発言に関する判決の箇所で印象に残ったことをコメントしました。 

山下発言に関する判決要旨の該当部分(2頁)->こちら

山下発言に関する判決本文の該当部分(12頁)->こちら

山下発言に関する原告主張->解説と主張書面(準備書面(5)の山下発言問題部分 準備書面(60)

判決言渡しのあと配布された判決要旨に、山下発言を、
科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの》(判決要旨15頁)
と評価したのを読み、一体どうやったらそんな手品みたいなことができるのか、ビックリ仰天した。

そのあと、判決の本文を一読して気がついたことは、100ミリシーベルト以下の健康影響に関する山下発言(判決では本件山下発言①)について、裁判の審理の中で原告は、
2011年5月3日二本松市講演で、山下氏が
何度もお話しますように、100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。
と発言したことの問題を取り上げ、それが科学的知見から逸脱していると主張した(準備書面(60)12頁)。
これに対し、判決は、この山下発言に関する原告主張を正確に引用せず、、
100ミリシーベルト/年以下までの被ばくであれば発がんリスクはない旨の発言(5月3日二本松市講演)》(194頁(1))
とぼかした上で、さらに、原告が主張するこの山下発言を次のように修正して取り上げた。
100ミリシーベルト以下では明らかな発ガンリスクは起こりません。分からないんですね》(197頁(5)ア)
    ↓
このように事実認定して、そこから、山下氏は、「100ミリシーベルト以下で健康影響があることは実証されていない」という見解に立っていると評価した(199頁(1)イ)。
    ↑
しかし、彼が二本松市で喋った内容はこれとはちがう。原告が主張したように、
何度もお話しますように、100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。

つまり、冒頭で「何度もお話しますように」と強調し、その上で言ったことは、
「100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。」
です。つまり、山下氏は「100ミリシーベルト以下では健康影響がないことが実証されている」という見解を明確に述べた。
しかし、裁判所は、事実認定にあたって、原告が引用した主張をぼかした上で、現実の山下発言を用意周到に、冒頭の「何度もお話しますように」を削り、その上で「明らかに発ガンリスクは起こりません。」という発言を「明らかな発ガンリスクは起こりません。」と念入りに書き換えた。
「明らかに発ガンリスクは起こりません。」と「明らかな発ガンリスクは起こりません。」の違いは明らか「に」と明らか「な」の一文字。しかし、意味はまったくちがってくる。それは「明らか」を副詞として使うのか、形容詞として使うのかの違いだ。
「明らか」を副詞として使う「明らかに発ガンリスクは起こりません。」は「発ガンリスクがないことが明らかである」という意味。しかし、「明らか」を形容詞として使う、「明らかな発ガンリスクは起こりません」だと、「明らかな発ガンリスクというものはない。しかし、《明らか》とは言えない程度の発ガンリスクについては分からない」という意味になり、ここから裁判所が認定しようと思っていた、山下氏は「100ミリシーベルト以下で健康影響があることは実証されていない」という見解に立っていることが引き出せる。
    ↑
だからこそ、この「明らかに」と「明らかな」の1文字のまちがいの重要性について、原告は審理の中で、裁判所に指摘していた。ゆめゆめ間違えることのないように、と
にもかかわらず、裁判所は、この警告を無視した。なぜなら、この点を正しく理解すると、自分が引き出したい評価ができなくなるから。そこで、この不都合な真実を原告の警告を無視して、ねじ曲げた。
これが判決のやり方だ。つまり、事実の認定を、自分が取りたい評価、結論を引き出せるように好きなように捻じ曲げ、捏造する。
「山下君、君がどんな暴言を吐こうが、どんなことをしようが、ボクたちが何としてでも、君を守ってあげるからね」と山下俊一氏の完璧なボディーガードを演じるために、ここまで手を染めるのか。これが判決に対するの私の第1印象だ。

原告は、山下氏が二本松市で「明らかな発ガンリスクは起こりません」とは発言していないことを裁判所が正しく理解するように、2018年10月5日の準備書面(60)で、次のように注意喚起した。

2015年9月7日付原告準備書面(5)第5に以下の誤記があったので、訂正する(下線部分が訂正箇所)。なお、2番目(40頁13行目)の訂正は、 なお、2番目(40頁13行目)の訂正は、山下アドバイザーの講演動画7を再生して、彼の発言内容を確認したものである。

7 OurPlanet-TV提供の動画前半7分30秒)

◆前半(講演)


 
◆後半(質疑応答)



2021年3月1日月曜日

【速報】春望:民破れて医大栄えり 弱きをくじき、強きを助ける理不尽の極み判決、言渡される(2021.3.1)

3.1理不尽の極み判決に関する情報・投稿
判決全文->こちら  判決要旨->こちら
【速報2】311直後の山下俊一氏の発言を「科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの」と認定した判決(2021.3.2)
【速報3】山下俊一氏を守るため山下氏の教え「放射線、正しく恐れよう」に背くほかなかった判決(2012.3.3)

2021年3月1日、2014年8月提訴した子ども脱被ばく裁判の判決言渡し日。

子ども脱被ばく裁判とは、福島原発事故という日本史上最悪の、未曾有の過酷事故を起こしておきながら、事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、子どもたち、市民に無用な被ばくをさせた日本政府と福島県の責任を真正面から問うた裁判。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
・密猟者が狩場の番人を。盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした、世界で最初の裁判。

その結果は以下の写真の通り、理不尽の極み判決。

この日、裁判所は、せっかく15頁にわたる判決要旨を用意したにもかかわらず、それを読み上げることすらせず、開廷し主文だけ読み上げるや、「閉廷!」と宣言して、ハヤテのように去っていった。この間1分足らず。その判決は、被告の日本政府や福島県から「あっぱれ!」と百点満点がつけられるほど、被告日本政府や福島県の数々の問題行動を完璧に正当化してみせた()。他方、原発事故で無用な被ばくをさせられた弱小の市民に対し、「まだ厳密な証明が足らない!」とムチ打ってこき下ろした。つまり零点(原告の全面敗訴)をつけた。のみならず、零点の理由も、どんなに努力してもこれ以上ひどい理由は思いつけないほど最悪の部類に属する理由づけ、ズカッと言えば人権侵害としか言いようのない理不尽極まる理由付けだった。だから、裁判官は判決要旨を読み上げる勇気すら持てなかった。

)例えば、311直後の山下俊一氏の発言について、原告はそれは《科学的知見から明らかに逸脱したとしか思えない数多くの問題発言》(準備書面(60)) と前代未聞の悪質な違法行為だと主張し、また、当の山下氏本人も、2020年3月の証人尋問の直前に至り、山下発言は通常時なら違法でも、緊急事態時だから違法性が阻却され許されるという正当化理論(クライシスコミュニケーション論)で弁解してきたにもかかわらず(そのブログ記事)、判決は、緊急時の山下発言は違法性が阻却されるかという際どい問題には一切言及せず、《科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの》(判決要旨15頁)と思い切り単純明快に擁護してみせた。これには、さすがの山下氏本人も「あっぱれ!」と、そのずば抜けた忖度ぶりに感嘆するほかあるまい。


この日、久々に福島駅前に降りた原告代理人の目に飛び込んだのは、それまで工事中だった福島県立医大の保健科学部の完成建物。大きくそびえ立つ巨大な姿はまさしく、国と福島県の威信を背負う医大の繁栄を象徴するかのようで、思わず「民破れて、医大栄えり」 311から10年、福島は人権侵害判決のもと、病院がますます繁栄する街に変貌する‥‥ 

しかし、もともと子ども脱被ばく裁判は三審制ではなく、四審制。裁判官の裁きだけではすまない、そのあとにもう1つの裁きが控えている。それが歴史の裁き、或いは天の裁き。いくら裁判官が忖度して、あなた好みの判決を書こうとも最終的には歴史の裁き或いは天の裁きに従わざるを得ない。
この日、1分足らずで法廷から逃げるように去っていった裁判官は、それだけで既にこの歴史の裁きを受けた。しかし、本当の裁きはこれから。そして、この歴史の裁き、天の裁きに参加できるのは私たち民、市民。私たちひとりひとりの手で歴史の裁き、天の裁きを実現するために取り組もう。

このあと、本日の判決の中身を明らかにする予定、取り急ぎ、本日の判決要旨の全文は->こちら
以下は、①福島駅前にそびえ立つ医大の保健科学部の完成建物、②裁判所に向かう途中の住宅の庭の松ぼっくり、そして③判決要旨1頁目。


                 ②.裁判所に向かう途中の住宅の庭の松ぼっくり


                         その拡大写真  

                       松ぼっくりの異変?

                ③.判決要旨1頁目(クリックすると全文が表示)


2020年9月10日木曜日

【山下・鈴木証人尋問15】3月4日の山下証人尋問の実施

2013年3月15日福島民報

動画(クリックすると再生)
法廷で上映された事故後の山下氏の発言(抜粋)

第50回日本甲状腺外科学会市民公開講座で座長を務める山下俊一氏(2017年10月、福島市)撮影:和田真(Ourplanet2020.3.6の投稿記事より)

2020年3月4日、子ども脱被ばく裁判のメインテーマの1つ「311直後の山下発言の違法性」問題の主役=張本人である山下俊一福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(当時)の証人尋問を、福島地裁の公開の大法廷で実施した。

彼については、言いたいこと、書きたいことが山のようにある。ここでは当日の尋問の記録(調書)の冒頭と全文及び彼が主尋問でまるごと読みながら証言した証拠(丙B12)、尋問当日まで検討し続けた311直後の山下氏の行動記録という彼の個人史を紹介する。

・尋問の記録(証人調書)全文のPDF->こちら
冒頭頁
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/200304Yamashita-testimony.pdf

・ 主尋問で山下氏が使用した書証(丙B12)の冒頭 全文のPDF->こちら

http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/HeiB12.pdf

・311直後の山下氏の行動年表(個人史)の検証資料

【山下・鈴木証人尋問14】2月14日の鈴木証人尋問の実施

        尋問を終え、裁判所から出た直後の鈴木眞一氏(Ourplanet2020.2.15投稿記事より) 

2020年2月14日、「予定通り」、福島地裁の公開の大法廷で、鈴木眞一県立医大教授の証人尋問が実施された。
「予定通り」というのは、この「予定通り」の証人尋問に猛反対する被告国及び福島県から、彼の証人尋問実現を阻止するために、以下の通り、考えられる限りの主張の全てが繰り出され、裁判所はそれらの全てを斥けて、晴れて「予定通り」の証人尋問が実現したからだった。

・そもそも鈴木氏の尋問は、本裁判の訴状に一行も登場しない「経過観察問題」に端を発したもので、本裁判の請求(立証の命題)との関係で「関連性」がなく、尋問の必要がない。
・原告が申請した尋問事項は、鈴木氏の論文(乙B46)を取り調べるなど他の方法で立証すべきであり、鈴木氏の証人審問ですべきではない。
・ 仮に尋問を実施するとしても、大学の授業及び大学付属病院の診察のほか学会等で多忙を極める鈴木氏の場合、書面尋問()の方法によるべきである。
・ 仮に書面尋問が却下の場合でも、多忙を極める鈴木氏の日程調整のため、公開の法廷ではなく、非公開の職場(県立医大)で出張尋問(民訴法195条)の方法で実施すべきである。

)書面尋問:証人の尋問をやらずに、書面による質問に対し書面で回答する尋問の方法(民訴法205条)。反対尋問の機会が保障されないため、当事者に異議があれば行うことはできない。

この日の尋問の記録(調書)の全文と冒頭、並びに原告弁護団の当日の尋問案とタイムテーブルは以下の通り。

・記録(調書)の全文のPDF->こちら
冒頭

http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/200214Suzuki-testimony.pdf

・当日の尋問案の冒頭 (尋問案の全文のPDF->こちら)

 ・当日のタイムテーブル