一審判決の評価――肩透かし・不意打ち判決――
1、あべこべを根本からただそうとした裁判
2021年3月。当時、1つだけ確信を持って言えることがありました。それは――311から10年が経過し「私たちは今、どこにいるのか?どこに行くのか?」と問うた時、その答えは子ども脱被ばく裁判の中にあると。なぜなら、福島原発事故は日本史上最悪の未曾有の過酷事故であり、事故の被ばくにより多くの子ども・市民の命、健康が前代未聞の危機に陥った時、事故発生の張本人の1人である日本政府は事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、その結果、多くの子ども・市民に無用な被ばくをさせ、未曾有の危機を招いた。この国家の犯罪の法的責任を真正面から問うた裁判が子ども脱被ばく裁判だからである。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの文科省が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」と声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
・密猟者が狩場の番人を盗人が警察官を演じる、狂気が正気とされ正気が狂気扱いされる、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした、原発事故に関する「世界で最初の裁判」だからです。
2、逃げる司法と闇討ちを食らった私たち
これに対し、一審裁判所はどう答えたか。原告の全面敗訴でもって回答しました。
(1)、私たちの主張の肝は事実問題で勝負すること、すなわち311後に出現した「事実の危機」=放射能による低線量被ばく及び内部被ばくの危険性を正面から取り上げ、その危険性から被災地の子どもたちや市民の救済の必要性を引き出したのです。しかし、裁判所はこの事実問題に立ち入らず、そこから逃亡しました。その上で、裁判所は問題の決着を法律問題でつける(なぜならここなら理屈をこねて勝負できるから)という肩透かしと不意打ちに出たのです。その理屈とは次のようなものでした。
(2)、第1の子ども裁判で、私たちが主張したのは小中学校の学校設置者である被告基礎自治体は就学する児童生徒に対し「安全な環境で教育を実施する義務」を負っており、憲法等に由来するこの安全配慮義務に基づいて教育を実施せよ(具体的には現に通学している学施設で教育を実施することの差止)を求めたのに対し、裁判所は、わざわざ安全確保の義務の程度がより低い、法律関係のない当事者間における「人格権に基づく妨害排除請求権」を取り上げて検討し、その要件である「具体的危険」がないと判断、かつ「学校環境衛生基準に放射性物質についての定めが置かれていないが、その具体的な措置については、学校の保健安全に関する教育委員会の専門的かつ合理的な裁量に委ねられている。」として現在の学校環境で教育を実施していることに裁量権の逸脱、濫用はないと結論づけました。そこから肝心の安全配慮義務についても、安全確保の義務の程度がより低い「人格権に基づく妨害排除請求権」と同様であると決め付けて、だから安全配慮義務違反もないと、つまり原告の主張は認められないと拒絶法学[1]のお手本を示しました。
もともと安全確保義務のレベルの異なる「人格権に基づく」場合と「安全配慮義務に基づく」場合の2つをどうして同じレベルのように扱ってよいのかその理由も示さず、なおかつ放射性物質について学校環境衛生基準が定めていなかった「法の欠缺」状態に対して、正しく「欠缺の補充」をするのではなく、行政の自由裁量に委ねてよいと決め付けて原告を負かせたのです。
(3)、第2の親子裁判ではこの行政の自由裁量論が全面開花し、SPEEDI情報等の隠蔽も、安定ヨウ素剤投与指標の定めも配布しなかったことも、いわゆる20mSv/年の文科省通知も、福島県の学校再開の判断も、国が集団避難させなかったことも、それらについて国内法に別段の定めがないが、その法の欠缺部分は行政(国・自治体)の「専門的かつ合理的な裁量」「適切な裁量」に委ねられているとして、行政がとった措置は不合理とはいえないと判断し裁量権の逸脱濫用を否定し、私たちの主張(国賠法上の違法)をことごとく否定しました。法の欠缺部分を補充しないまま行政の裁量判断をすることがなぜ許されるのか、その根本問題には一言も応答せず、その一方で市民の要求はバッサリ拒絶するという、まさに拒絶法学の金字塔が「行政裁量論」であること[2]を遺憾なく発揮した瞬間でした。しかし、判決の決め手となったこの「行政裁量論」は一審で一度も議論されたことがなく、判決でいきなり決まり手として登場し、私たちは闇討ち、不意打ちを食らったのでした。
(3)、欠くべからざる前提問題からの逃亡
本裁判を正しく裁くためには、以下の前提問題について吟味検討することが不可欠、それどころかこの前提問題で殆ど勝負の行方が決まるほどでした。しかし、この重要論点についても、裁判所はこれを無視するか、私たちの主張を理由もなく退けたのです(なぜなら、もしこれらと正面から向き合ったら私たちを敗訴にできなかったから)。
①.国、福島県は県民が被った初期被ばく線量の直接計測を回避し、その一方で、いわゆる100mSv以下安全論を喧伝したこと。
②.UNSCEAR、ICRP等の国際機関による合意(国際的合意)なるものの不確実性(限界)や反中立性に十分注視する必要があること。
③.子どもの放射線感受性は、大人よりも顕著に高いこと。
④.放射線感受性に顕著な個人差があること。
⑤.被ばくは可能な限り避けるべきこと。
⑥.子ども裁判被告らの裁量権行使が適切だったか否かをICRPの2007年勧告に基づいて判断した原判決のやり方は誤りであること。
3、追跡する原告
以上が闇討ちを食らわし逃げる一審判決の正体でした。それゆえ、逃げる一審判決を追いかける私たちの目標は、第1に法の欠缺部分を行政の裁量に委ねて一丁上がりとした一審判決に対し、正しく「欠缺の補充」を行なうこと(本命の「行政の裁量判断に対する司法審査」の前提条件を準備するため)。第2に、その上で、本件は法の欠缺を国会が立法的に解決しない以上、司法が行政の裁量判断に積極的に審査すべき場面であり、そのためには、行政の判断過程で法が保障する権利・法的利益に対する考慮が尽くされているか、権利・法的利益同士の衝突を調整する手段・方法の探究に対する考慮が尽くされているかなど要考慮事項や他事考慮事項を審理する「判断過程審査」を実行することでした。
4、結論
このようにして、一審判決の誤りを審査する二審の審理は、一審の「事実論(科学論争)」から一転して以上の「法律論(法の欠缺論・行政裁量論)」にシフトしたのです。
以 上
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